テレビの実験番組で、こんな光景を見たことはありませんか。バナナをカチカチに凍らせて、それをハンマー代わりに、木の板に釘を打ち込む。あの、ちょっと信じられないような実験です。
実は、この「バナナ釘」が、家庭の庭先で普通にできてしまう場所が、この日本の本州にあるのです。
その場所こそ、岩手県盛岡市の「薮川(やぶかわ)」。「本州で一番寒い場所」として知られる、まさに極寒の地です。
私は、その岩手で庭師をしている者です。同じ岩手県内でも、薮川の寒さは別格です。あそこは、私たちにとっても「特別に寒い場所」なのです。冬になると氷点下20度、30度近くまで下がることもある。そんな厳しい寒さの中で、人々は昔から静かに暮らしを営んできました。
でも、薮川は、ただ寒いだけの場所ではありません。その過酷な寒さの裏側には、息をのむような美しい自然と、心を打つ人間のドラマが隠されているのです。
この記事では、本州最寒の地・薮川がいったいどんなところなのか、名物の「バナナ釘」がなぜできるのか、そして観光や宿泊はどうすればいいのかまで、地元・岩手の目線でたっぷりとご紹介します。読み終わるころには、きっとあなたも「一度、この目で本州一の寒さを体感してみたい」と思っているはずです。
盛岡市薮川はどんなところ?本州一寒い町の正体
まず薮川は、盛岡市の中心部から車でわずか45分ほどの場所にありながら、標高約700メートルの高地に広がる、本州で最も寒い地域です。
「盛岡市」と聞くと、岩手県の県庁所在地で、そこそこの都会をイメージするかもしれません。ところが、同じ盛岡市の中に、これほど極端に寒い場所があるのです。その理由を、順を追って見ていきましょう。
盛岡市の北東に広がる高地の集落
薮川は、盛岡市の北東部に位置しています。周りを森林に囲まれ、平地はほとんどありません。東西に走る国道455号線(昔の小本街道)沿いに、小さな集落が点在しています。
2022年の時点で、薮川に住んでいるのは181人、世帯数は104世帯ほど。とても小さな地域です。域内には学校もスーパーもなく、子どもたちは薮川の外の学校に通っています。近年は過疎化が進み、地域をどう元気にしていくかが課題となっています。
歴史をたどると、薮川は古くは南部藩(盛岡藩)の領地で、街道の宿場町として栄えた時代もありました。当時、周辺の村々の人馬が薮川で待機したことから「待村(まちむら)」と呼ばれたこともあり、今もその名残で「町村(まちむら)」という地名が残っています。厳しい自然の中でも、人々が確かに生きてきた歴史があるのです。
なぜこんなに寒いのか
では、なぜ薮川はこれほど寒いのでしょうか。
一番の理由は、標高の高さです。薮川の観測所は標高680メートル、地域全体でおよそ700メートルの高地にあります。標高が高い場所は、それだけで気温が低くなります。
さらに、薮川は冷たい空気がたまりやすい、盆地のような地形をしています。夜、よく晴れて風のない日には、地表の熱が空へ逃げていく「放射冷却(ほうしゃれいきゃく)」という現象が強く起こります。冷えた重い空気が低い場所にたまり、そこに新雪が積もっていると、記録的な低温が発生するのです。
わかりやすく言えば、「高い場所にある」「冷気がたまりやすい」「晴れて風がない」「雪が積もっている」という、寒くなる条件がすべてそろってしまうのが、薮川という土地なのです。だからこそ、「日本のチベット」と呼ばれる岩手の中でも、さらに「日本のシベリア」とまで言われるほどの寒さになるのですね。
記録に残る驚きの寒さ
薮川の寒さは、記録を見ると本当に驚かされます。
戦後間もない1945年(昭和20年)1月26日、薮川では氷点下35度という、本州一の低温が観測されました。氷点下35度というと、もう想像を超えた世界です。
近年でも、その寒さは健在です。2012年1月30日には氷点下25.8度、2018年2月22日には氷点下25.4度を観測しています。公式に記録された最低気温は氷点下27.6度。非公式ながら、戦前には氷点下35度に達したという記録も残っています。
1月の日最低気温の平均は氷点下13.2度ほどで、これは本州の観測所としては、あの富士山に次いで低い数字なのです。人が普通に暮らしている場所で、富士山の次に寒い。これが薮川のすごさです。
名物「バナナ釘」はなぜできる?極寒の暮らしの知恵と楽しみ
さて、いよいよこの記事の目玉、「バナナ釘」のお話です。
結論から言うと、薮川では冬の寒さが厳しすぎて、バナナが金づちのようにカチカチに凍りつくため、それで本当に釘が打ててしまうのです。テレビの中だけの話ではなく、薮川では日常の風景になり得るのです。
バナナが凶器になる寒さ
なぜ、バナナで釘が打てるのでしょうか。
バナナは、そのほとんどが水分でできています。水は、氷点下になると凍って氷になります。そして、氷は硬いですよね。
つまり、氷点下20度、30度という薮川の寒さの中にバナナを置いておくと、中の水分が完全に凍りつき、バナナは石か金属のようにカチカチに硬くなるのです。この凍ったバナナは、もはや果物ではなく、立派な「工具」です。木の板に釘を当てて、凍ったバナナで叩けば、コンコンと釘が打ち込まれていく。まるでマンガのような光景が、現実に起こるのです。
たとえるなら、冷凍庫でカチカチに凍らせたお肉のようなものです。あれを落とすと、足の上に落ちたら痛いくらい硬いですよね。薮川では、外がその冷凍庫の中と同じか、それ以上に寒いというわけです。
寒さを「楽しみ」に変える発想
こうした極端な寒さは、暮らす人にとっては大変なことです。水道が凍る、車が動かない、洗濯物が板のように凍る。日常には、寒さゆえの苦労が数えきれないほどあります。
でも、薮川の人々は、その寒さを嘆くだけではありません。「せっかくの本州一の寒さだから、いっそ楽しんでしまおう」という、たくましい発想を持っているのです。
バナナ釘は、その象徴です。ほかにも、濡れたタオルを外で振り回すと一瞬でカチカチに凍る「凍りタオル」や、熱いお湯を空に撒くと一瞬で氷の粒になって舞う実験など、寒さを逆手にとった遊びがいろいろあります。厳しい環境を、笑いと楽しみに変えてしまう。この前向きさこそ、薮川の人々の強さなのだと思います。
過酷さと美しさが隣り合わせ ― 薮川に伝わるロマン
薮川の魅力は、寒さだけではありません。その厳しさの裏に隠された「美しさ」と、心を打つ「物語」があるのです。
結論として、薮川は「過酷さ」と「美しさ」が、コインの裏表のように隣り合わせになっている、ロマンあふれる土地です。
寒さが生む、息をのむ絶景
厳しい寒さは、同時に、他では見られない美しい風景を生み出します。
たとえば、よく晴れた極寒の朝。空気中の水分が凍って、きらきらと輝きながら舞う「ダイヤモンドダスト」が見られることがあります。まるで空気そのものが宝石になったような、幻想的な光景です。
また、薮川からは、岩手のシンボルである岩手山を望むことができます。雪と氷に覆われた真っ白な岩手山に、朝日が差し込む瞬間。その神々しい美しさは、寒さに凍える体さえも忘れさせてくれるほどだと言われます。
開拓民を踏みとどまらせた老人の言葉
この土地には、こんな言い伝えが語り継がれているそうです。
その昔、薮川の地を切り開こうとした開拓民たちが、あまりの寒さに耐えかねて、「ここは人間が住む場所ではない」と、この地を去ろうとしたことがありました。
そのとき、一人の老人が、こう言って人々を引き止めたというのです。
「凍った岩手山に映る朝日の美しさは、世界一だ」
過酷さに負けて逃げ出そうとした人々の心を、この土地が持つ「美しさ」が繋ぎとめた。真偽のほどは定かではありませんが、こうした物語が語り継がれること自体が、薮川という土地の本質を表しているように思います。厳しさの中にこそ、何ものにも代えがたい美しさがある。それを知る人だけが、この地に根を下ろすことができたのかもしれません。
苦しさと美しさは、いつも隣り合わせ。薮川は、そんな人生の真理をそっと教えてくれる、不思議な魅力を持った場所なのです。
薮川は観光地?楽しめるスポットを紹介
「そんなに寒い場所、観光なんてできるの?」と思うかもしれません。でも、ご安心ください。
結論として、薮川とその周辺は、寒さや豊かな自然を活かした、魅力的な観光スポットがそろった場所なのです。厳しい環境だからこそ味わえる、ここだけの体験が待っています。
ダム百選に選ばれた美しい人造湖「岩洞湖」
薮川を代表する観光スポットが、「岩洞湖(がんどうこ)」です。
これは人の手で造られた人造湖(ダム湖)ですが、その美しさは日本屈指と言われ、「ダム湖百選」にも選ばれています。周囲を白樺(しらかば)の林に囲まれ、静かで雰囲気のある湖です。
そして、この岩洞湖が冬に大変身します。湖面が完全に凍りつき、その上で楽しむ「氷上ワカサギ釣り」のメッカになるのです。分厚く凍った湖の上に穴を開け、糸を垂らしてワカサギを釣る。釣れたワカサギをその場で天ぷらにして食べれば、寒さも吹き飛ぶおいしさです。全国から多くの釣りファンが集まる、冬の風物詩となっています。


寒さを体感する「まほら岩手 氷の世界」
薮川には、「まほら岩手」という自然体験パークがあります。ここで冬に開催される名物イベントが「氷の世界」です。
パークの中には、まるで魔法の国に迷い込んだような、氷の洞窟や氷の城が造られます。全長20メートルほどの氷のトンネルなど、凍てつく寒さが生み出す神秘的な光景を楽しめます。これは、本州一の寒さを、観光客に楽しく体感してもらおうという地域おこしのイベントで、毎年冬に開催されています。まさに、寒さを「観光資源」に変えた、薮川ならではの取り組みですね。
豊かな自然と天然記念物
薮川一帯は、手つかずの自然が残る、貴重な場所でもあります。天然記念物であるニホンイヌワシや、ニホンカモシカといった希少な動物たちが生息しています。
「外山森林公園(そとやましんりんこうえん)」では、夏はアスレチックなどで自然を満喫できます。冬の厳しさとはまた違う、緑豊かな薮川の顔を楽しめるのです。ですから、薮川は冬だけでなく、一年を通して自然を味わえる、癒しのスポットでもあるのです。
薮川への宿泊はどこが便利?
薮川を訪れるなら、宿泊の情報も気になるところですよね。
薮川は、盛岡の市街地から車で45分ほどの距離です。ですから、盛岡駅周辺のホテルに泊まって、そこから日帰りで薮川へ足を運ぶ、というプランも十分に可能です。盛岡市街地なら、ホテルの選択肢も多く、盛岡冷麺やわんこそばといった名物グルメも楽しめますので「盛岡市街の宿泊」が便利です。
温泉も楽しみたいのなら少し遠くなるかもしれないけれど、「八幡平近郊の温泉地」が便利です。観光で冷えた体を、温かい温泉でじっくり温める。これほどのぜいたくはありません。特に、氷上ワカサギ釣りや「氷の世界」で極寒を体験した後の温泉は、格別のありがたさでしょう。薮川周辺の観光の拠点として、とても使いやすい施設です。
薮川の大自然を満喫したい方は、盛岡観光もあわせて楽しめる市街地のホテルにするとよいでしょう。
訪れる際の注意点
最後に、庭師として、そして地元の人間として、大切な注意点をお伝えします。
薮川を冬に訪れるなら、万全の防寒対策が絶対に必要です。氷点下20度、30度の世界は、生半可な服装では危険です。厚手のダウン、帽子、手袋、防寒靴、カイロなど、これでもかというくらい着込んでいってください。
また、冬の道路は完全に雪と氷に覆われます。車で行く場合は、必ず冬用タイヤ(スタッドレスタイヤ)を装着し、運転には十分注意してください。薮川には鉄道が通っていないので、車かバスでのアクセスになります。無理のない計画を立てることが、安全に薮川を楽しむ秘訣です。
まとめ:過酷さの先にある、薮川だけのロマンを体感しよう
ここまで、本州一寒い場所・薮川について、たっぷりとお話ししてきました。最後に、振り返ってみましょう。
薮川は、盛岡市の中心部から車で45分、標高約700メートルの高地に広がる、本州で最も寒い地域です。戦後には氷点下35度を記録し、今も氷点下25度を下回ることがある、まさに極寒の地。その寒さは、凍ったバナナで釘が打ててしまうほどです。
しかし、薮川はただ寒いだけの場所ではありません。ダイヤモンドダストが舞い、凍った岩手山に朝日が映える絶景。開拓民を踏みとどまらせたという、美しくも切ない言い伝え。過酷さと美しさが、いつも隣り合わせにある土地なのです。
そして、氷上ワカサギ釣りが楽しめる岩洞湖、氷の城が現れる「まほら岩手 氷の世界」、温泉に入れるユートランド姫神など、寒さを楽しみに変える観光の工夫にもあふれています。
厳しい寒さは、たしかに大変です。でも、その寒さがあるからこそ見られる景色、味わえる体験、感じられるロマンが、薮川には確かにあります。
日本の本州に、こんなにも寒く、こんなにも美しい場所があること。それを、ぜひあなた自身の目で、肌で、確かめてみてください。しっかりと防寒対策をして、本州一の寒さと、その先にある感動に、会いに行ってみませんか。凍える体の向こうに、きっと忘れられない思い出が待っているはずです。
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