岩手で暮らす58歳ズボラ庭師があと20年生き抜くために体の不調と闘いながらも日々を送る物語

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伊達政宗も欲しがった名木!岩手県指定天然記念物「薄衣の笠マツ」の歴史と見どころ解説

伊達政宗も欲しがった名木!岩手県指定天然記念物「薄衣の笠マツ」の歴史と見どころ解説

職人が何年も、いえ何十年もかけて、丹精込めて仕立て上げたような、寸分の狂いもない完璧な傘型の松。

もし、その松が「人の手をまったく加えていない、完全な天然のもの」だとしたら、あなたは信じられるでしょうか。

「そんな馬鹿な。あんなに整った松が、自然にできるわけがない」

庭師である私自身、最初にそう思いました。松という木の手強さを、仕事で毎日のように味わっているからです。ところが、岩手県の一関市に、その「あり得ないはずの奇跡」が、本当に存在するのです。

その名を「薄衣(うすぎぬ)の笠(かさ)マツ」といいます。

あまりにも美しいその姿に目をつけ、「何としても自分の城へ持って行きたい」と、強引に移し替えようとした人物がいました。それが、あの独眼竜の名で知られる戦国武将、伊達政宗です。天下に名をとどろかせた政宗をも夢中にさせた松とは、いったいどんな木なのでしょうか。

この記事では、岩手で庭師をしている私が、プロの視点からこの名木の本当の凄さを解き明かします。そして、政宗をも狂わせた歴史のロマン、さらにはるか昔の平泉・藤原氏にまでさかのぼる伝承、現地へのアクセスまで、まるごと徹底的に解説します。

この1ページを読み終えるころには、あなたはきっと「薄衣の笠マツを、この目で見てみたい」と思っているはずです。それでは、歴史と自然が織りなす壮大な物語の扉を開きましょう。

伊達政宗も一目惚れ!「薄衣の笠マツ」を巡る仙台藩の歴史パニック

まず、この松の物語の主役、伊達政宗のエピソードからお話しします。なぜなら、天下を狙った大名が本気で欲しがったという事実こそ、この松の価値を何より雄弁に物語っているからです。

ひとつの松の木をめぐって、仙台藩が大きく揺れた。そんな出来事が、本当にあったと言い伝えられています。

仙台城(青葉城)へ移植せよ!政宗の執念

時は戦国の世が終わり、伊達政宗が仙台藩を治めていたころのお話です。

当時、この一関のあたりも、政宗の伊達領でした。あるとき、政宗が領内を見回っていた道中、一本の松が目に飛び込んできました。それが、薄衣の笠マツです。

その完璧な傘型の姿を見た政宗は、深く感動しました。その昔、伊達領内の名木として書き上げられ、藩公がこの地を通った際に、これを嘆賞した(深く感心してほめたたえた)と伝えられています。

そして、こう命じたと言われています。「この松を、わが居城・仙台城(青葉城)に植え替えよ」と。

これは、政宗がいかにこの松を気に入ったかを示すエピソードです。仙台城といえば、政宗が天下に誇った名城です。その自慢の城に、ぜひこの松を加えたい。それほどまでに、薄衣の笠マツの美しさは人の心をとらえたのです。

ここで、庭師として一言お伝えしておきます。実は、大きく育った松を移植するというのは、とんでもなく大変な作業です。松は根が繊細で、いったん育った大木を別の場所に移すと、たいてい弱って枯れてしまいます。現代の重機や技術をもってしても難しいことを、政宗は人力でやろうとしたわけです。それほど本気だった、ということですね。

家老の機転が松を救った

しかし、この命令に困り果てた人物がいました。政宗に仕える家老です。

家老は知っていました。これほどの大木を動かせば、まず間違いなく松は枯れてしまう。それに、地元の人々が神木として大切にしてきた松を引き抜けば、領民の心も離れてしまうかもしれない。

そこで家老は、知恵を絞りました。「いかに天下に比類ない名木といえども、道ばたの低い場所にある松を、わざわざ御館(おやかた)に移植なさるのはいかがなものでしょうか」と進言し、政宗に移植を思いとどまらせた、と伝えられています。

「道ばたの松ごときを、天下の名城にお持ちになるのは、かえって殿のご威光にふさわしくないのでは」と、相手のプライドを立てながら、やんわりと止めたのですね。家老の見事な機転です。

一方で、地元にはもっとドラマチックな言い伝えも残っています。家老が「この神木を動かせば、必ず祟(たた)りがあります。どうしても動かすなら、まず私の首をはねてからになさってください」と、命がけで止めた、という伝承です。どちらが本当かはわかりませんが、それだけこの松が、人々にとって特別な存在だったことが伝わってきます。

こうして政宗は移植を断念しました。この出来事から、薄衣の笠マツは「見越(みこし)の松」とも呼ばれるようになったと言い伝えられています。「見るだけで、手元には越してこられなかった松」という意味が込められているのかもしれませんね。

もう一つの歴史ロマン:平泉・藤原秀衡ゆかりの「衣懸の松」

実は、この松の歴史は、政宗の時代よりもさらに古くまでさかのぼります。

舞台は、世界遺産・平泉で栄華を誇った奥州藤原氏の時代です。平泉といえば、金色堂で知られる中尊寺を築いた、あの黄金の都です。

その奥州藤原氏の三代目、藤原秀衡(ひでひら)が、旅の途中でこの松に立ち寄り、自分の衣(ころも)を枝に掛けて休んだ、という伝説が残っています。この言い伝えから、かつてこの松は「秀衡衣懸(ひでひらきぬがけ)の松」と呼ばれていました。

「衣を懸ける松」と書いて「衣懸の松」。なんとも風流な名前です。ちなみに「薄衣(うすぎぬ)」という地名そのものも、薄い衣を思わせる、優美な響きを持っています。この土地と「衣」には、古くから深い縁があるのですね。

平安時代末期の藤原秀衡、そして戦国時代の伊達政宗。時代を超えて、二人の歴史的な大物がこの一本の松に心を寄せた。これだけでも、薄衣の笠マツがいかに特別な木か、おわかりいただけると思います。その威厳に満ちた姿は、平泉時代には秀衡衣懸の松と呼ばれ、伊達藩時代には領内の名木として御書上げになるほどたたえられたのです。

共感:なぜ私たちは「整った松」にこれほど惹かれるのか

ここで少し立ち止まって、考えてみたいことがあります。

なぜ、政宗も秀衡も、そして現代の私たちも、この松にこれほど心を奪われるのでしょうか。

日本人が松に込めてきた思い

日本人にとって、松は特別な木です。お正月の門松、能舞台の背景に描かれる松、お祝いの席で語られる「松竹梅」。松は、昔から「めでたいもの」「長寿の象徴」として、大切にされてきました。

冬の厳しい寒さの中でも、青々とした葉を保ち続ける。何百年も生き続ける。そんな松の生命力に、人々は強さや永遠への憧れを重ねてきたのです。

そして、整えられた松の姿には、不思議な「安心感」があります。庭園に立つ手入れの行き届いた松を見ると、心がすっと落ち着く。あの感覚は、多くの方が経験したことがあるのではないでしょうか。

「完璧な形」への憧れ

私たちは、自然の中に「完璧な形」を見つけると、思わず息をのみます。

たとえば、左右対称に整った富士山。まんまるの満月。そして、寸分の狂いもなく傘型に広がった松。こうした「整いすぎた自然」は、まるで誰かが意図して作ったかのようで、見る者の心を強く揺さぶります。

薄衣の笠マツが人々を魅了し続けてきたのは、まさにこの「完璧な形」だからです。しかも、後で詳しくお話ししますが、その完璧さが「人の手によるものではない」という事実が、感動をさらに何倍にもしているのです。

「どうしてこんなに整っているの?」という素朴な疑問。その答えこそが、この松の最大の秘密であり、庭師の私が最も興奮するポイントなのです。

【庭師の驚愕】なぜ世界唯一?「人の手が入っていない」天然の造形美

さあ、ここからが、この記事の核心です。薄衣の笠マツの本当の凄さは、その完璧な傘型が「剪定(せんてい)を一切していない、完全な天然のもの」だという点にあります。

これがどれほどあり得ないことか、庭師の私が全力で解説します。ここを理解すると、この松への見方が180度変わるはずです。

盆栽や庭木の松との決定的な違い

まず、ふつうの松がどういう木なのかをお話しします。

薄衣の笠マツは、アカマツという種類の松の一種です。アカマツの一種でありながら、樹姿が典型的な笠(傘)型をしているのが特徴です。

ところで、ふつうのアカマツを放っておくと、どうなると思いますか。

答えは、「上に向かって、ひょろひょろと高く伸びていく」です。山に生えている松を思い浮かべてください。たいていの松は、まっすぐ上に、あるいは少し曲がりながら、とにかく天に向かって伸びていきます。傘型に、横へ横へと整って広がっていくことは、まずありません。

では、お寺や庭園で見かける、あの美しく整った松はどうやってできているのでしょうか。

実は、あれは庭師が毎年、手間ひまをかけて作り上げているのです。

私たち庭師は、松を美しく保つために、たくさんの作業をします。たとえば「もみあげ」という作業。これは、秋から冬にかけて、古い葉を一本一本、手でむしり取っていく地道な仕事です。風通しを良くし、形を整えるために欠かせません。

さらに「みどり摘み」という作業もあります。春に松の新芽(みどりと呼びます)が伸びてくるのですが、これを摘み取って、枝が伸びすぎるのを抑えるのです。

こうした作業を、毎年毎年、何十年も繰り返すことで、ようやくあの「門かぶりの松(門の上に枝を張り出させた松)」のような、美しい形が保たれているのです。一年でもさぼれば、松はすぐに本来の「上に伸びたい」という性質を取り戻し、形が崩れてしまいます。

つまり、庭園の美しい松は、人間と松の、終わりのない共同作業の結晶なのです。

突然変異が生んだ奇跡

ここで、もう一度、薄衣の笠マツに話を戻します。

この松は、そうした人間の手入れを「一切していない」のに、完璧な傘型をしているのです。

これは、いったいどういうことなのでしょうか。

その秘密は、「突然変異」にあると考えられています。

突然変異とは、簡単に言えば、「生まれつき、ふつうとは違う性質を持って生まれてくること」です。薄衣の笠マツは、生まれながらにして「上に伸びるのではなく、横に低く、傘型に広がる」という、特別な性質を持っていたのです。

園芸の世界には、「タギョウショウ(多行松)」と呼ばれる松があります。これは、幹が低いところで枝分かれして、何本もの枝が傘のように放射状に広がる、変わった松です。薄衣の笠マツは、このタギョウショウによく似た、突然変異の松だと考えられています。

そして、ここからが本当に驚くべき点です。

突然変異で傘型になる松は、ほかにも例があります。しかし、薄衣の笠マツのように、これほど巨大なサイズまで、美しい傘型を保ったまま自生している例は、植物学的に見て、まさに奇跡なのです。

考えてみてください。庭師がつきっきりで世話をしても、形を保つのが難しいのが松です。それを、誰の手も借りず、自分の力だけで、しかも600年もの長い年月、巨大な傘型を保ち続けてきた。これがどれほどとてつもないことか。庭師の私から見れば、これはもう「神業」としか言いようがありません。

人間が一生をかけて目指す「理想の松の形」を、この松は生まれつき、何の苦もなく実現している。だからこそ、政宗も秀衡も、そして現代の私たちも、この松にひれ伏すように感動するのです。

本県随一の堂々たるスケール

その大きさも、見事なものです。

天然記念物に指定された当時の記録によれば、この笠マツは、その樹形、樹勢ともに良好なうえ、大きさなどすべての面において、岩手県随一のものとされています。幹は地上2メートルのところで、周囲が約5メートルにもなり、大きく傘を広げたような枝ぶりから、この「笠マツ」という名で呼ばれるようになったといいます。

周囲5メートルというと、大人が3~4人で手をつないで、ようやく囲めるくらいの太さです。その太い幹から、枝が水平方向に、低く、均等に広がっている。地上から見上げれば、まるで巨大な緑の屋根が、空に向かって差し掛けられているかのようです。

この見事な姿は「日本の名松百選」にも選ばれており、県の天然記念物にも指定されています。名実ともに、日本を代表する名松のひとつなのです。

管理もひと苦労!私が手入れをしたときの話

ここで、少し個人的なお話をさせてください。

実は、この薄衣の笠マツは、数年前に私自身が手入れをさせていただいた、思い出深い松でもあるのです。

天然のままで美しい形を保っているとはいえ、何百年も生きてきた老木です。樹勢(木の元気さ)を保ち、病気や害虫から守るためには、やはり人の手による見守りと、最小限の手入れが必要になります。

その作業の大変さは、ふつうの庭木の比ではありませんでした。なにしろ枝が水平に、低く、広く張り出しているので、三脚を立てる場所にも気を使います。一本一本の枝が貴重ですから、傷つけないよう、それは慎重に作業を進めます。

ここで、安全についてプロからひとつお伝えしておきたいことがあります。こうした横に広がる松の手入れでは、足場が本当に重要です。庭師は普段から、四本脚の脚立(きゃたつ)ではなく、三脚(さんきゃく)を使います。四本脚の脚立は、平らでない地面ではぐらつきやすく、過去に大きな事故も見聞きしてきました。三脚は一本の脚を斜面や枝の間に差し込んで安定させられるので、こうした名木の手入れには欠かせない道具なのです。

一本の松を、たった一人で、二週間ほどかけて手入れする。気の遠くなるような作業ですが、これほどの名木に触れさせていただけるのは、庭師冥利(みょうり)に尽きる経験でした。当時の作業の様子は、私の別のブログにも記録してあります。

3年前に私が手入れをした松の記録は、こちらでご覧いただけます。

一関市川崎町の岩手県指定天然記念物・笠松2号木|600年生き続けた巨松を蘇らせた外科治療

一関市川崎町の岩手県指定天然記念物・笠松3号木|600年生きてきた巨松を守るための外科治療

実際に枝に触れ、幹のそばに立ってみて、改めてこの松の偉大さを肌で感じました。人間の何代分もの時間を生き抜いてきた木の前に立つと、自然と背筋が伸びる思いがします。

薄衣の笠マツを守り継ぐ、地域の人々の手入れ

これほどの名木が、現代まで美しい姿を保ってこられたのは、決して偶然ではありません。そこには、地元の人々の、気の遠くなるような努力があります。

巨大な緑のUFO?現地で見るべき圧倒的なスケール感

写真や文章だけでは、この松の本当の迫力はなかなか伝わりません。

実際に現地に立ち、地上からこの松を見上げたとき、多くの人が言葉を失います。太い幹から放射状に広がる枝が、頭上を覆い尽くす。その姿は、まるで地上に舞い降りた「巨大な緑のUFO」のようだと表現する人もいます。

季節や時間によって、その表情は刻々と変わります。晴れた日には、青空を背景に枝のシルエットが美しく映え、葉の間から木漏れ日が差し込みます。地元では古くから親しまれ、ある古老は「子どものころ、笠松の上で相撲を取った」と語っていたそうです。それほど枝が広く、低く、しっかりと張っていたのですね。子どもたちが遊び場にするほど、地域の暮らしに溶け込んだ松だったのです。

樹勢を守る「実取り」という地道な作業

老木が枯れずに青々としているのは、地元の保存会の方々のおかげです。昭和42年(1967年)、所有者と地元の人々が中心となって「笠松保存会」が設立され、以来、長きにわたってこの松の保存に努めてきました。

その手入れの中でも、特に園芸的に興味深いのが「実取り(みとり)」と呼ばれる作業です。

松は、年を取ったり弱ったりすると、「もうすぐ自分の命が危ないかもしれない」と感じて、たくさんの実(松ぼっくり)をつけようとします。子孫を残そうとする、生き物の本能ですね。

ところが、実をつけるには、木が大変なエネルギーを使います。老木にとって、これは大きな負担になります。実づくりにエネルギーを取られすぎると、肝心の木そのものが弱ってしまうのです。

そこで保存会の方々は、松ぼっくりになる前の若い実を、毎年初夏のころに、一つずつ手作業で摘み取っていきます。これが「実取り」です。こうして松に余計なエネルギーを使わせないことで、木の体力を温存し、長生きさせているのです。

考えてみてください。あの巨大な松の、無数の若い実を、一つずつ手で摘んでいく。途方もない手間です。それを毎年、何十年も続けてきた。地元の方々の、この松への深い愛情があってこそ、私たちは今もこの名木を拝むことができるのです。庭師の私から見ても、頭の下がる思いです。

伊達政宗が「動かせなかった」松を、地元の人々が「守り抜いてきた」。この事実に、私は何度でも感動してしまいます。

【ドライブ・観光向け】薄衣の笠マツへのアクセスと見学の心得

ここまで読んで、「実際に行ってみたい」と思ってくださった方も多いのではないでしょうか。そこで、現地へのアクセス方法と、見学の際の大切な心得をお伝えします。

岩手県一関市川崎町へのアクセス方法

薄衣の笠マツがあるのは、岩手県一関市川崎町(かわさきちょう)の薄衣(うすぎぬ)という地区です。

車で向かう場合は、東北自動車道の「一関インターチェンジ」が最寄りのインターになります。一関ICを降りてから、国道284号線を東へ進むルートが基本です。山へ登っていきますのでナビがあると超安心です。

国道284号線の、川崎小学校付近から東山町(ひがしやまちょう)へ抜ける道路沿いですが案内板はありません。コメリの手前を左に曲がります。見逃さないように、ゆっくり走りながら探してみてください。

曲がってから500mくらい行くと今度は看板がありますので、それを目印にして現地へ向かってください。

公共交通機関を利用する場合は、最寄りのバス停から徒歩でアクセスすることになりますが、本数が限られていることが多いため、車で訪れるのがおすすめです。岩手の田園風景を眺めながらのドライブそのものも、きっと良い思い出になるはずです。

なお、訪れる前には、念のため一関市の観光情報サイトや、地元の観光協会で、最新の状況や見学の可否を確認しておくと安心です。天然記念物は、その時々の保存・管理の状況によって、見学方法が変わることもあるためです。

駐車スペース

車は1日に数台しか通らないので路駐でも大丈夫かと思います。

見学時の注意点 ― 松を弱らせないために

ここで、庭師として、どうしてもお伝えしておきたい大切なお願いがあります。

それは、松の根元を踏み固めないでほしい、ということです。

「木の根元くらい、踏んでも大丈夫でしょう!」と思うかもしれません。しかし、これが松にとっては大問題なのです。

松の根は、地面の浅いところに広く張っています。そして、根は土の中のすき間から、酸素や水分を吸収しています。ところが、人がその上を何度も歩くと、土がぎゅっと固く締まってしまいます。すると、土の中のすき間がなくなり、根が「息」をできなくなってしまうのです。

人間でいえば、口や鼻をふさがれるようなもの。これが続くと、松はじわじわと弱っていきます。せっかく600年も生きてきた名木を、私たちの不注意で弱らせてしまっては、あまりにも申し訳ありません。

ですから、見学の際は、必ず周囲に設けられた柵(さく)の外から、優しく見守るようにしてください。柵は、松を守るためにあります。「近くで見たい」「触ってみたい」という気持ちはよくわかりますが、そこはぐっとこらえて、少し離れた場所から、その雄大な姿を目に焼き付けてほしいのです。

それが、この松を未来へと引き継いでいくための、私たち訪問者にできる、ささやかで大切な協力なのです。

周辺の寄り道スポット ― ドライブをもっと楽しむために

せっかく一関市川崎町まで足を運ぶなら、周辺の見どころもあわせて楽しみたいものです。いくつかおすすめのスポットをご紹介します。

道の駅かわさきで一休み

川崎町には「道の駅かわさき」があります。ドライブの途中で休憩するのにぴったりの場所です。

道の駅では、地元で採れた新鮮な農産物や、その土地ならではの特産品を買うことができます。旅の途中で地元の味に触れるのは、ドライブの大きな楽しみのひとつですね。トイレ休憩もできますので、笠マツを見学する前後に立ち寄ると便利です。

川崎町は、北上川(きたかみがわ)という大きな川の流れに沿った、自然豊かな土地です。川沿いの景色を眺めながらのんびり過ごすだけでも、心が安らぎます。

世界遺産・平泉とあわせて巡る

そして、ぜひおすすめしたいのが、世界遺産・平泉とあわせて巡るルートです。

一関市から平泉までは、車で30分ほどの距離です。先ほどお話しした、薄衣の笠マツゆかりの藤原秀衡。その秀衡が三代目として栄華を極めたのが、まさに平泉なのです。

中尊寺の金色堂をはじめ、平泉には奥州藤原氏の黄金文化を今に伝える名所が数多くあります。薄衣の笠マツで秀衡の伝説に触れ、その足で平泉を訪れれば、歴史のロマンがぐっと立体的に感じられるはずです。「衣を掛けた松」と「黄金の都」を結ぶ、藤原秀衡をめぐる旅。これは、歴史好きにはたまらないコースだと思います。

【現地画像あり】中尊寺金色堂を冬に訪れるべき理由とは?平泉の歴史的景観と雪化粧の木々

一関は、平泉観光の拠点としても便利な土地です。名木と世界遺産、自然と歴史を一度に味わえる、贅沢な旅をぜひ計画してみてください。

まとめ:政宗が諦め、現代に引き継がれた「奇跡の松」をその目で確かめよう

ここまで、薄衣の笠マツの物語に、長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。最後に、この松が私たちに教えてくれることを、振り返ってみたいと思います。

平安の昔、藤原秀衡が衣を掛けたと伝わる松。

戦国の世、伊達政宗が心を奪われ、城へ持ち帰ろうとして、ついに諦めた松。

そして、剪定を一切しないのに、生まれつき完璧な傘型を保ち続ける、植物学的な奇跡の松。

そのどれもが、この一本の木に込められた、かけがえのない物語です。

考えてみれば、不思議な巡り合わせです。天下に名をとどろかせた政宗ですら、自分のものにできなかった。けれども、名もなき地元の人々が、何百年もかけて、一つずつ実を摘み、根を守り、この松を未来へとつないできた。権力の力では動かせなかったものを、愛情の力が守り抜いた。私には、そう思えてなりません。

庭師として何百本もの松を見てきた私が、心から「これは別格だ」と思える松。それが、薄衣の笠マツです。人間が一生をかけても作れない美しさを、自然がいとも軽々と実現してみせる。その姿の前に立つと、人間の小ささと、自然の偉大さを、しみじみと感じます。

写真や文章で、その凄さの一端はお伝えできたかもしれません。けれども、本当の感動は、やはり現地でしか味わえません。地上から見上げたときの、あの圧倒的なスケール感。何百年もの時間が宿った幹の存在感。それは、その場に立った人だけが受け取れる、特別な贈り物です。

一関を訪れた際は、ぜひ歴史のロマンと、自然が生んだ究極の盆栽美を、現地で体感してください。きっと、ここでしか出会えない感動が、あなたを待っています。

そして、もし現地で松に出会えたなら、これまでこの名木を守り抜いてきた、たくさんの人々の思いにも、そっと心を寄せていただけたら、庭師として、これほどうれしいことはありません。

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