「トッ、トッ、トッ、トッ、トトッ!」
「トッ、トッ、トッ、トッ、トッ、トトッ!」
ひとりで造園業を初めて2年目の一番暑い夏の日!
何かに憑依されたように気分が悪く、心臓の様子が芳しくなかった・・・
雨も降らず暑い気温の日は数週間も続き、心底疲れていたのはわかっていました。
8月も終わりを告げようとしていたが、35°近くあるような気温でした。
そんな時は「草刈りなんてやるもんじゃない!」
「涼しい家でゴロゴロしていた方がよい」
なんて思いながら仕事に励んでいました。
その日も朝からソファー横たわりなんとなく心臓の脈が不安定で気持ちが悪かったので、通常よりも少し遅めに仕事をしに出かけました。
10時まではなんとか仕事をしていましたが、座り込み休んでいると、急に動悸が激しくなり、朝よりも気分が悪くなってきて座ったまま全く動けなくなりました。
あしたのジョーのような体勢で、動けなくなってから1時間ほど休んだような気がします。
早く病院に行け!と神の声が・・・
意識があるうちに病院に行こうとしたが、診察券も保険証も持っていなかったので、気力で一度家に戻ることにしました。
「現場は家の近くで良かったね!」神の声が聞こえたような気が・・・。というかあの場所はよくない。
霊にからかわれやすい自分にはわかる。霊が多い場所だし。
病院についた途端、長椅子に倒れ込んで動けなかったので、その時は完全にもうダメかと思いました。
少し横になって休んでいました。
少し、いやいや、早くてもひとり15分はかけるし、クスリの説明に一人一人に少女のお絵かき付きだったから、クリニックの先生の診察はとても長いので有名でした。
何度診てもらっても同じ少女のマンガを描いてくれる。しかし上手だと思った。
「患者はいないのに・・・遅い!」
「楽になりたい・・・早く!」
と思いながらも、おそらく1時間くらい待ってからの診察になりました。
病状を説明し、さっそく心電図をとりました。
結果は、右上の部屋の何とかという不整脈で、突然の死には至らないようなことは言っていました。
不整脈にも死に至るようなものと至らないものがあるようです。
1週間分の薬だけもらって、様子見ということで帰ることができました。
もう死ぬのかもと思った最悪の午前中でした。
でも不整脈ですからその日だけではなく、その後も2年間苦しめられながら生きていたんです。
大丈夫とは言われても、死を意識し始めました。
なぜかというと、友達が20代で不整脈になって死んだからでした。だから不整脈になると死ぬものなんだと自分では思っていたみたいです。
その時以来、朝起きるのが怖かったし、朝起きる時に不安がピークでした。
何が一番怖かったかというと、朝、目が覚める瞬間いつも
「あ~、今日も生きている~!よかった~!」・・・と、こんなことを本気で思っていました。
目が覚めた時、自分が生きていることを真っ先に確認するようになっていました。逆に言うと「明日、起きた時は生きているかな?」と、いつも死を覚悟して眠りについていたんです。
不整脈になった原因
造園というのはけっこう体力を使います。若い時の体力と、歳をとった時の体力とは違います。
それを過去の栄光のように、若い時は10km走れたんだからといつまでも体力があると思って動いていたんでしょうね。
不整脈になる直前の5年間は、忙しさのあまり全く走っていなかったので、そのツケは、独立2年目に不整脈という心臓の病とともにやってきたんです。
まだ小さい子供たちを残して死んでしまっていたら家族に申し訳がない。
そんな若いお父さんを何人も見てきたから余計不安に陥ってしまいます。
それでなくても人生の折り返しを過ぎている分、毎朝起きる時に生きているかを確認させられたので、いつも怖かったんです。
その後一応は回復しているようだが、またいつ再発するかわからないです。
その時以来、人生に悔いを残さないように、自分を変えることを決めました。
不正脈発症の2年後にようやく安定してきたので、次女の保育園の送り迎えに車は使わずに、ゆっくり歩くことから始め、慣れたことから再び軽いジョギングをすることにしました。
それ以来心臓も回復したのか、大きな不整脈は起こっていないんです。(小さいのはある)
いきなり動くと、心臓や筋肉、骨や関節、脳などのどこかに負荷が生じるので、普段から運動して心身ともに健康にしておくことは大事ですね。
生きていることの喜びを毎朝おきる時に感じていたからこそ言えますが、健康でいられることって本当にありがたいものです!
健康を維持するのであれば歩くのは良いですが、ダイエットをするのであれば歩くことでは痩せないようですよ。
ゆっくり長い距離(最低でも45分)を走るジョギングを続けることが一番良いみたいです!