超危険!空き缶の蓋ブーメラン事件

保育園時代の3年間は大船渡市盛町にある公務員宿舎に住んでいた。そこには子供たちが大勢いて、とてもにぎわっていました。近所にマー坊という同い年の子が住んでいて、よく遊んでいました。一緒に保育園に通ったり、喧嘩したり、いじめたり、仲よく遊んだり、いろいろなことがありました。

そんな時間もいつの間にか過ぎ、小学校に上がる時に、親の転勤に合わせて一関に移り住むことになり、マー坊ともお別れすることになった。そんな保育園時代の自分を描いてみました。

■保育園時代の自分は手がかかり子

保育園時代の自分は足が早く、運動能力に優れていました。
・運動会では走ると常に一等賞。
・鉄棒も逆上がりだけでなく、鉄棒に片足をかけてグルグル回る足掛け周りで、前周りも後ろ周りもできた。
・自転車もすぐに乗れた。

その反面
・鉄棒が得意だったのでジャングルジムで一回転したら頭をガッツリぶつけたこともあった。
・三輪車に乗っていたら、石に乗り上げ動かなくなり、そのまま三輪車のハンドル下の棒に股間をぶつけて病院に運ばれ、そこに注射を打ったり。
・近くの小川で水深の低い時に脇を通ろうとしたら滑って転び、ずぶぬれになったり。

とにかく動き回ることが好きな子で、活発という単語がピッタリ合う子だったと自分でも思います。

極度の面倒くさがり屋なところがありました。というのは、保育園の帰りにしょっちゅう「うんち」がしたくなる。でも、うんちするのも面倒くさいという子でした。「野ぐそ」なんてしたことはなく、子供心に恥ずかしいと思っていたのかもしれないけど、限界が来るといつも、そのままおもらし、そしてパンツとズボンを履いたそのままの状態で立ってウンチをしていたようです。

今だから言うが、これは1回や2回どころの話ではない。たぶんうんちをパンツに包んでいた状態が似ていたからかもしれないけど、当時「お包み」と言っていて、変な歩き方をしながら、うんちが落ちないように一歩一歩そのまま家まで帰っていたようです。

家に誰もいなかったのか、よく上の階のおばちゃんに「うんち処理」をしてもらっていました。一関に引っ越した後に、そのおばちゃんが娘の入試で一度来たことがあり、「うんち処理」や「お包み」のことを話されとても恥ずかしかったことを覚えてます。

それほどやんちゃで、とにかく手のかかる子だった。

■性格は内向的しかし調子に乗ると悪ガキに

ある雪が積もった日、マー坊ともう一人の子と雪合戦をしていました。

マー坊が転んだ。

自分ともう一人の子も一緒に雪玉をぶつけようとした。

マー坊は嫌がった。

でも、そんなことはお構いなしで、自分は雪玉を投げる体制に!

そして、至近距離で投げ、顔面に当たってしまった!

投げたのは、自分だけで、もうひとりは投げるフリをしただけ。

そしてマー坊は泣いてしまった!

その時も調子に乗って、マー坊が嫌がる気持ちをわかろうとしなくて、結局、玉が当たったマー坊は泣きながら、もう一人の子に連れられて帰って行った。
自分はそのあとをトボトボと追いかけるように帰って行った。
そのことを今でも覚えている。調子に乗って、なんてことをしたんだ・・・と。その後しばらくは、気まずい状態が続きました。

当時はそれほど自分の気持ちを止められない子、自制心のない子でした。
やめろと言われても、何かきっかけがない限り続けようとして、結局最後は人を傷つけたり、何かの終わりが来なければ終わらない子でした。
欲しいものがあれば買ってくれるまで、人前だろうがだだをこねる。親は相当恥ずかしい思いをしたことでしょう。

自制心のない子で思い出したことがまだあります。
ある時、男の子数人で女の子のお尻に石を詰める遊びをしていた。いつのまにか調子に乗ってどんどんエスカレートしていて、自分が先になって石を選んだりしていた。それを嫌がった子が先生に言いに行って、散々怒られたのは、自分だけだった。

ある時は、先生も園児もいない時に、自分ともう一人の子で保育園の壁全部ににクレヨンでたくさん絵を描いていました。普通の壁ではなく、ボコボコした壁だったので、消すことはできず、それがバレた時、先生にも園児にも相当怒られました。その時も調子に乗って、エスカレートしていったのです。

自分は風邪をひきやすく、病院に行く時にバスに乗ることが多くあった。いつも立って乗ることにしていました。なぜならバスが止まる時に、慣性の法則で、一度前に体を持っていかれる瞬間があります。そしてちょうど止まった時、体は逆方向の後ろに向かうのですが、その時を利用して、わざと自分の体を前と後ろに持っていくのが楽しかった。すなわち2倍の慣性の法則を味わっていた。その時も母親に危ないからやめろと言われたが、結局鉄柱に頭をぶつけて転びやっとやめました。

「バカは死ななきゃ治らない!」という言葉は自分のためにあるのではと、後で思い知ったほどです。行動的なバカな人間でした

■やはり天罰が下された

そんな普段からバカチンな自分を神様はいつも見ていたのでしょう。ある日マー坊と遊びながら保育園に向かいました。小学校の裏を通るのですが、そこに缶切りで開けられた状態で、縁がギザギザになっている、丸型の空き缶の蓋がたくさんありました。その当時ブーメラン遊びが流行っていたので、2人はフタを投げたくなっていました。それがよく飛ぶので、いつまでも投げて遊んでいました。

神様はそれを見逃さなかったようです。普段の行いが悪い自分の額(ひたい)めがけてフタの刃(やいば)を向けたのです。フタはちょうどひたいの真ん中に突き刺さりました。突き刺さったんです。大量の出血はあったようですが、痛さがあったかは覚えていないです。ただ泣いていただけのような気がします。

その時ちょうど、毎日そこを通るおばちゃんがその状況を見て、慌ててハンカチか何かでひたいを抑えて止血しながら、そこからあと50mくらい先の終点の保育園まで連れて行ってくれました。その後病院に行って頭に包帯をグルグル巻きにされました。近く運動会があったようでその時のやんちゃな写真が残っています。


運動会でとった写真を見ても悪ガキっぽく見えると思います。(前列一番左)

そんな、他人に迷惑をかけまくり、自己中心的、自制心のない保育園時代だった保育園時代(年長バラ組)の特に覚えていることをこのページに綴りました。